Llactapata

マチュピチュから僅か3kmの場所に新しい遺跡ポイントを発見(?)

 
 2003/11/06、ロイターが世界一斉配信した記事によると、Hugh Thomson、Gary Zeiglerらの英米の合同調査チームは航空機による赤外線探査によって、クスコの北西80km、マチュピチュからは僅か3kmほどの地点にこれまで未知だった新しい遺跡ポイントを発見したと報じている。この場所はリャクタパタ(Llactapata)という地名で、「高い町(high city)」とも呼ばれる場所。
 マチュピチュを再発見したハイラム・ビンガムも1912年時の調査報告書でリャクタパタの一部を調べたことに言及しているが、ビンガムはこの遺跡をさほど重要視することなく、真偽はともかく、ほんの5時間ほど調査活動を行っただけで詳細な報告を残さなかった。その後、この場所は忘れ去られ、分厚い密林の下で再び眠りについた、という。
 
 調査チームによれば、この遺跡は機能と目的ごとに幾つかの区画に分かれる。春分・秋分・夏至の日に太陽やプレアデス星団の動きを観測する太陽神殿的な施設がある区画や、おそらくマチュピチュへ石材や食料を供給した労働者や農民たちのものと思われる住居跡が立ち並ぶ区画や、マチュピチュの人口を支えたであろう農場の跡などが発見されたらしい。
 「ここは非常に大切な天文学や宗教的儀式の中心地であると同時に、マチュピチュの穀物倉庫や労働者専用居住区としての機能も合わせ持つ場所だったかも知れない。」とThomsonは言う。
 ただ、労働者や農民の住居跡と言っても、これは各建造物の粗雑な造りからそう推定されているだけの話で、まだまだ確証を得ているものではない。
 
 Thomsonたちは2002年にもCota-Cocaの深い密林の中で同様のインカ時代の都市遺跡を発見している。「2年の間に2ヶ所もインカ時代の未確認だった町を発見出来たということは、探査すればまだまだ隠れていたインカ遺跡が見つかるかも知れない。」とThomsonは言っているが、アンデス山中にインカやそれ以前のおびただしい未知の町や村の痕跡が今も埋もれているのは全く当然のことだ。これからも続々と再発見の報がもたらされるのは確かだろう。
 
 また、この遺跡の保存に関して専門家たちは次のように警告している。
 「リャクタパタ遺跡は柔らかな変成岩を天然のまま余り加工せずに利用しているため構造物が非常にもろくなっている。また、マチュピチュの遺跡保護区域の外側に位置しているため、この付近に住む現在の農民たちが遺跡を破壊して畑にしてしまう状況も深刻なものである。マチュピチュと深い結びつきが推定され、マチュピチュの一部と言ってもよい遺跡であるならば国際協力のもと早急に保存対策を行う必要がある。」



※ 今回の新発見(?)でちょっと疑問に思えるのは、リャクタパタ(Llactapata)遺跡はInca Trailでも立ち寄るほど整備され、一般的に知られた場所。
 にもかかわらず、今回「大発見」として報道されているのは何故だろう? 現在のリャクタパタ遺跡とは無関係な全く別の場所なのか?
 なお、従来知られているリャクタパタ遺跡の様子は下記のサイトで見ることが出来ます。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~rokufud/Pru/index-3-P-23.html

http://www002.upp.so-net.ne.jp/wataru_t/peru/1230sub2.html



※ この新発見(?)のページは、ニュース性が薄れたと判断した時には即座に削除するつもりです。