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太平洋横断接触
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Last update 2004.04.20


 

― 太平洋横断接触について(1) ―

( 注: 思いつくままに書いているので構成はメチャクチャです。 また、随時、文中で補足説明を書き加えたり、不適切であると反省した表現を削除したりしています。 なお、すべての敬称は省略させていただきました。 また、タイトルを『マヤ雑感』から、より直截的に内容と関連したものに変更しました。)




 今からおよそ1万年前、氷河期が終わってベーリング海峡が出現して以来、新大陸は旧大陸と分断された。 1492年、黄金の国ジパングを求めて西に旅立ったコロンブスがサンサルバドル島に到達、新大陸は初めて公式に旧大陸の記録にその姿を現す。 そして、そこに築かれていた高度な文明も旧大陸の人々の知るところとなった。
(コロンブス到達以前にヴァイキングが北アメリカに植民地を設けていたことは別にして。 また、コロンブスのアメリカ大陸“発見”などという無神経な言葉もこの雑文では使いたくない。)

 この文明の建設者について当初は様々な空理空論が展開されていたが、1839年から1842年に亘るスティーブンスとキャザーウッドの調査以来、科学としての新大陸考古学がスタートした。
 ただ、21世紀を迎えた現在においてもなお、相変わらず「超古代文明、オーパーツ、失われた大陸、宇宙人」などのキーワードで語られることの多い中南米の古代文明たち。 これらをテーマとした荒唐無稽なフィクションが横行し、いずれも大ベストセラーとなって多くの人々に誤解を与え続けている。 古代中南米が19世紀初頭から21世紀の現代まで、何ら変わるところなく“謎と神秘の文明”というフィルターを通して語られ続けてきたのは1世紀以上に亘る中南米考古学研究の視点や焦点のズレを雄弁に物語っているように思われてならない。 出典が何だったか忘れたが、「マヤ文明に対する正確な知識において、ジャングルで汗まみれになって発掘している考古学者とカメラ片手に歓声をあげている観光客との間に大きな違いなど無い。」という一文を目にしたことがある。


 かつて(現在でも?)、マヤ文明の入門書としてスタンダードの地位にあった『 The Maya 』(邦題『マヤ』 学生社 1975 )で、エール大学教授M・D・コウは「古典マヤも、それより前の時代の数多くの文明も、都市という名で呼べるものは一つも存在しない」と言い切っているが、これは今では明らかに誤りだ。 コウは、テオティワカンもティカルも宗教的な神殿群のみがあって周囲にはまばらに一般庶民の住居が点在するだけのものであった、と言う。 これは1960年代頃までの考古学者の怠慢さを如実に示すよい例である。 目に見える大きな神殿の発掘や調査にのみ専念し、一般庶民の住居跡など最初から真面目に探そうとしなかったのを露呈しているに過ぎない。 探しもしないで、「なかった」というのでは科学者としての資質を疑われても仕方ないだろう。
 また、コウは同書の中で、旧大陸との文化的接触に関し次のように述べている。
 「これについては一般の読者のためにも強くはっきりと言っておかなければなるまい。 これまでいかなるマヤの遺跡においても旧大陸のどこかで作られていたと思われる遺物は一つも発見されていない。 そして太平洋を越えた文化交流があったとするような諸理論は・・・科学的研究の前にはもはや耐えられなくなっている。」
 これが、コウに限らず米国の学者たちを中心とする中南米考古学界の新旧両大陸の文化交流の可能性についての代表的な見解だ。 交流の可能性を何ら検討することもせず、最初から否定する。 科学的研究態度から乖離しているのは一体どちらなのだろうか。


 また、文化接触の可能性を認めるとしてもそれは取るに足りない些細な出来事であったという立場をとる一例として英国ケンブリッジ大学の考古学者G.ダニエルがいる。
  「(新旧両大陸間の)接触は否定する必要がない。 そして、新世界における文化発達のための太平洋横断刺激が完全に欠如していることを独断的に強調する必要もない。 接触と刺激は起こりえたのであったが、現在の多くのアメリカ研究所がそれを疑いの目で見ている。 昨今では、旧世界文明が新世界文明に直接移植されたという提案はない。 (中略) ひょっとして起こったかも知れない大西洋横断または太平洋横断接触はほんのわずかで、ごく稀なことであり、先コロンブス期アメリカ文化の独立発達にほとんど影響を与えなかった。」
(『文明の起源と考古学』G.ダニエル 社会思想社.1973)
 文化の多元的進化論に立つダニエルは、現在では人類文化の変化と発達における一元的進化論を唱える者などまともな研究者の中には一人も存在せず、それは多元的進化論によって遠い昔に駆逐されてしまった学説である以上、新大陸高文明が旧大陸高文明の影響で発達したとは認められない、という。
 もちろん私も、一元的進化論は馬鹿げた話であり、危険な思想ですらあると思う。 人類の文化や文明の発祥は唯一古代メソポタミアに起こり、それがエジプトに伝播し、インダスや中国に伝播し、やがて新大陸へ伝播して行った、などということは到底考えられない。 多様な起源のもとに個別に各地の高文明が発展して行ったことに異論があろうはずがない。 しかし、旧大陸ではそれらの発展過程で全く他者との接触や刺激が欠如していたと考える者は誰一人いないはずだ。
 それが何故、旧大陸と新大陸との関係では一転して、文化的接触など完全に無かったと決め付けるのか。 太平洋とは人類にとってそれほど大きな障壁なのか。 古代人にとって大海原が越えることの出来ない障壁であれば、ハワイ諸島やイースター島をはじめとするミクロネシア・ポリネシア・メラネシアの先住民たちはどのようにして太平洋の島々に拡散して行ったのか、それさえも説明がつかないことになる。 現代人は古代人の移動能力や航海技術を余りにも劣ったものと過小評価し過ぎているのではないのか。
 ここで仮にコロンブス以前の新旧両大陸間に何らかの文化的な接触があったからと言って、それで新大陸の高文明が旧大陸から全て移入されたのだと言っているのではない。 問題は、過去半世紀にわたって学界から嘲笑され忘れ去られていた文化的接触を示唆するであろう事物の存在に今再び目を向け直し、本当に文化伝播の仮説は再検証してみるだけの価値が無いものなのかどうか、新旧両大陸の文化接触はダニエルたちが言うように軽く無視してよい程度のものに過ぎないのかどうか、ということだ。
 
 「100%伝播か100%独立起源か」という自己の陣営に堅く立てこもった極端な二項対立ではなく、「文化的な接触が存在したのか、仮に存在したとすればどの程度のものなのか」という極めて自然な学問的興味や探究心から生じる疑問を追求することこそ、それで職と食を得ている職業的研究者の使命であるはずだ。



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