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太平洋横断接触
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― 太平洋横断接触について(2) ―


 文化伝播を軽視あるいは否定する新大陸高文明の頑迷固陋な完全独立発達論者たちが拠り所とする説の一つは、人類学理論の泰斗であり米国イリノイ大学人類学教授であったJ.H.スチュワードの『文化変化の理論』(日本語版 弘文堂「人類学ゼミナール 11」,1979)だ。 確かにこれは文化変容のシステムに関する素晴らしい研究成果である。 だが、この理論にも少なからぬ矛盾点が見受けられるように思う。 ここではスチュワードを批判することが目的ではないが、ただ、彼は面白い(ある意味では支離滅裂な)ことを書き記している。
「伝播の証拠は、二次的な特色のユニークな質にあるのであって、社会や経済、宗教のパターンの基本的タイプ(文化の核)の特色にあるのではない。」
と述べているにもかかわらず、論文の後半には以下のような驚くべき記述が現れる。
「事実収集それ自体は、科学的な手順としては不十分なものである。 事実はそれらが理論と関係づけられる時のみ存在し、理論が事実で打破されることはない。・・・
      (中略) 
・・・だから、事実だけに関心を持ち、よりすぐれた公式を提示しないような、この論文に対する批評はまったく重要なものではない。」  (『文化変化の理論』)  
 翻訳に問題がある可能性もあるが、自分の理論に合致しない事実は無視を決め込むことを堂々と宣言していることには思わず唖然とさせられる。
 
 こうした唯我独尊的多元的進化論&頑迷固陋完全独立発達論の信奉者たちとは少しだけ趣を異にする例としては以下のような発言もある。
 『The New Archaeology and the Maya』
 (邦題:『新しい考古学と古代マヤ文明』 青山和夫訳 新評論,1998)
を著し、マヤ研究の新しい地平を提供してくれたペンシルヴェニア大学教授J.A.サブロフはかつてその共著書『アメリカ考古学史』(日本語版:学生社,1974)の中で次のように述べていた。
 「中国の殷代や周代の青銅器やそれとほぼ同時代のペルーのチャビン期の石彫や土器などに (ほんの一例をあげただけだが) 類似性が認められる。 そして、1960年代後半から1970年代前半におけるアメリカ考古学の潮流は長距離伝播による説明を避けており、新大陸内部の文化の発展の契機を多くの考古学者は信じている。 しかし、これらの問題は、最終的には解決されていないと言わざるをえない。」
 『アンデス文明』(日本語版:岩波書店,1976)の著者で日本でも馴染み深いペルーの考古学者L.G.ルンブレラスも、新大陸に居住しているはずのない白色人種や黒色人種の特徴が紀元1〜8世紀にかけてのモチェ文化の象形土器において明確に表現されていることを認めざるを得なかった。
(ビルー川流域ワカ・デ・ラ・クルスの古代墳墓出土の土器に関して)
「 彫刻にあらわされたものは、一見きわだって異なる多様な人種的要素を示しているかのようである。 ある型ははっきりと蒙古人種的であり、他は黒人的、そして白人種的なものさえある。 アンデスの諸民族の周知の特徴として、厚い髭を生やさないことがあるが、モチェの彫刻の中には、長い髭をたくわえた老人の像がある。 」
 だが、ルンブレラスも旧大陸に住む多様な人種の顔をモチェの人々が何故知っていたのかについては明言するのを巧妙に避けている。
 また、米国テュレン大学の人類学教授であったR.ウォーカップは『幻想の古代文明』(中公文庫.1988)の中で古今の様々な素人学者たちのアトランティス大陸説や失われた民族説等の荒唐無稽な“学説”を感情を露にして嘲笑し、それらが科学的資料の裏づけが無い如何に馬鹿げた笑い話であるかを面白おかしく“論破”して見せているが、それは何とも痛快で楽しい読み物だ。 だが、その中にあってエクホルムやハイネ=ゲルデルンらの文化伝播説については“アマチュア的な思いつき”であるとして非難しつつも、「未だ終止符の無い古典的な論争」と位置付けているのがウォーカップにしては何とも歯切れが悪く、逆に興味深いものがある。

 サブロフたちは比較的冷静にこの文化伝播あるいは文化接触の問題について触れているが、このような態度をとる学者は米国や中南米ではまだ極めて稀である。 頑なに長距離伝播による説明を避け、新大陸内部の文化発展を“信じている”学者がほとんどであろう。 しかし、およそ、信じる信じないは科学とはかけ離れた態度に他ならない。 それは宗教の世界の話だ。 あらゆる可能性を誠実に検証した結果としてなら、実際に伝播の事実が確認出来なくても一向に構わない。 最初から真摯に検討もしないで、宇宙人説や超古代文明説や失われた大陸説のようなウサン臭い作り話と文化伝播や文化接触の可能性を同列に扱う態度が問題なのだ。
 この傲慢で狭隘な視野に立つアメリカ考古学界が文化伝播の可能性に耳を傾け謙虚な姿勢を取れば、まさにその時に中南米考古学は大きな飛躍をするだろう。



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