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Chichen Itza - 1

 
チチェンイッツァのカスティーヨ(城砦)と頂上にある部屋

チチェンイッツァ遺跡 カスティーヨ
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チチェンイッツァ遺跡 カスティーヨの頂上にある部屋

 マヤ遺跡の中でたぶん一番有名なチチェンイッツァのカスティーヨ。

 「...10世紀にチチェンイッツァは中央高原からやって来たトルテカ族に乗っ取られた。その前と後で旧チチェンと新チチェンに分かれ、新チチェンはトルテカ族が自分たちの故郷トゥーラを模して作った...」
と、一般的には言われている。確かに、戦士の神殿はトルテカ族の本拠地トゥーラの神殿とソックリだし、血生臭い人身供儀も頻繁に行われた。
 だけど、実際にトルテカ族がチチェンイッツァに侵入して征服や支配をおこなったり、ウシュマルからマヤ人を追い出して都市を放棄させたりした考古学的証拠はまったく何も無い。もともとマヤ人も好戦的で生贄を捧げるのが大好きな部族だった。通説とは正反対に、マヤの影響でトルテカ文化が発展した可能性だって十分考えられる。
 「これまでのマヤ研究は大半が見てきたようなウソと考古学者の好みで選別された資料の上に成り立って来た」 なんて言っている研究者もいるくらいだから。





チチェンイッツァ遺跡 カスティーヨ 蛇の階段
 
チチェンイッツァ遺跡 カスティーヨの階段
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 春分の日と秋分の日には蛇の影が出来ると言われる石段。
 石段の幅が広くて傾斜がゆるいので、このピラミッドはウシュマルの魔法使いのピラミッドより、はるかに登りやすかった。登りやすいだけに頂上は観光客が多く、ゆっくり感傷にふける雰囲気じゃないみたい。
 
 蛇の影で多くの人が「マヤ人は凄いな」って驚くみたいだけど、しかし、春分・秋分・夏至・冬至用のスペシャルプログラムを考案したのは何もマヤの人たちばかりじゃないだろう。
 有名なところではストーンヘンジもナスカの地上絵もアブシンベル神殿も、挙げればキリが無いくらい多いという。春分や秋分の日を割り出して、その日に何か特別な仕掛けをするのは古代人にとってごくごく当たり前に広く行われていたことだったかも。





チチェンイッツァ遺跡 閉じ込められたチャックモール
チチェンイッツァ遺跡 閉じ込められたチャックモール

 カスティーヨの中に隠されているも一つ古い時期のピラミッドにあるチャックモール。このチャックモールと雨の神チャックを混同してる人が多いけど、全くの別物なのでご用心。

 ここはたいへん狭い場所なので温度と湿度が高くて蒸し暑く、照明は暗いし、足元の床はヌルヌル滑るし、汗はドッと吹き出るし、他人の体臭は結構きついし、ラッシュの電車並に後ろからギュウギュウ押されるし、結局チャックモールの頭しかカメラに写ってなかった!この奥にはジャガーの像もあったのに。
 チチェンイッツァに限らず中南米の神殿は古いピラミッドを壊さず、その上に覆いを掛けるようにして新しいピラミッドを建設する場合が多い。だからロシアのマトリョーシカ人形のように、ピラミッドの下に古い時代のピラミッドが何層にも重なってそっくりそのまま残されてるのは珍しいことじゃない。





チチェンイッツァ遺跡 聖なる泉 セノーテ
 
チチェンイッツァ遺跡 聖なる泉 セノーテ
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 石灰岩で覆われた台地からなるユカタン半島は雨期に降った大量の雨水が地表を侵食して地下へとしみ込む。そのためにマヤ人たちは地下水路や鍾乳洞などを利用して貯水池とした。水はこの上なく貴重なもので、神殿で行われる以上に多くの重要な宗教的儀式が水を介して取り行われていた。

 チチェンイッツァの聖なる泉はマヤ文化圏の中でも屈指の宗教儀式の重要な中心地だった。チチェンイッツァが衰退し、スペイン人たちが踏み込んだ16世紀になってもなお、この泉へは周辺の広い地域から多くのマヤ人が巡礼に訪れていたことが記録に残っている。
 その昔ここを浚渫したところ、人身供儀で捧げられた多くの人骨や供物の翡翠製品などが見つかった。




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