テオティワカンは古代メソアメリカで最も重要な都市と文明。
マヤもトルテカもアステカも絶対にテオティワカン抜きには語ることが出来ない。
紀元前2世紀半ば頃から紀元後7世紀にかけてメキシコ中央高原で繁栄したテオティワカンは、最盛期には人口が20万人程度の当時世界最大の都市の一つ。オルメカとの間には多くの連続性が認められるという。
テオティワカンの繁栄を支えたのは広範囲な交易だったと思われる。塩や黒曜石製品や彩色三足土器などをマヤ地域にもたらし、それらの遺物がグアテマラやベリーズのマヤ遺跡から出土している。圧倒的な経済力と軍事力を持ったテオティワカンの有形・無形の強力な影響は中米のほぼ全域に及び、それはカミナルフユなどの南部高地で特に強く、マヤ地域の大都市だったグアテマラのティカルやベリーズのアルトゥンハさえも影響下に置いて意のままに操縦していた証拠がたくさんある。
ただし、テオティワカンが7世紀半ばまで中央アメリカの経済的ネットワークの中心に君臨していたのは間違いないが、それを発展させて中央集権的な統一国家の形にすることはなかったようだ。マヤの中核となる宗教センターに政治的・経済的・文化的に大きな影響を与え続けたにもかかわらず、狭い意味でのマヤ文化圏とは一線を画していたらしい。
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