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第5日目
ベトナム社会主義共和国 ホーチミン市(旧サイゴン)
乗り継ぎの関係もあり、最後にベトナム社会主義共和国で丸一日過ごす。ベトナムでは遺跡へ行く予定も特に無く、一刻も早く日本へ帰りたかったけど…
でも、気を取り直して、ホーチミン市内をうろつき回る。
まったく期待していなかったのに、結構面白い街だったホーチミン。
旧・南ベトナム大統領官邸(現・統一会堂)
屋上に置かれたヘリコプターと屋上でぼんやりと眺めていた風景
1975年4月30日午前10時15分、米国に後押しされていた南ベトナム政府はテレビ放送で無条件降伏受諾を発表。ベトナム戦争は終結した。
旧サイゴンの旧南ベトナム大統領官邸の屋上でぼんやりと街並みを眺めていると、高校生の頃に見た、南ベトナムから慌しく撤退する米軍最期の姿とサイゴン陥落を報じるTVニュースの記憶が蘇ってきた。
その二十数年後に、サイゴンの大統領官邸屋上にまさか自分が立つことになるなどとは思いもしなかったあの頃。この場所は自分が年齢を重ねてしまったこともハッキリと悟らせてくれた。
朝のバイク通勤
ドイモイ政策によって目覚しい経済発展を遂げつつあるベトナム。反面、それによって社会主義国家でありながら中国と同様に都市部と農村部では貧富の格差が拡大しつつあるベトナム。治安も決して良いとは言えない国。
束の間の滞在で垣間見たのは、夜の公園でボリュームいっぱいの大音量を響かせるロックバンドとそれに群がり陶酔する若者たち、そして爆音を轟かせて夜の街を暴走する若い男女二人乗りバイクの夥しい群れ。
ベトナム戦争では多くの日本人が米国の狂気とも言うべき軍事行動に激しい怒りを覚え、日米安保条約と在日米軍基地の前線化に抗議し、一刻も早い戦争終結を願った。
しかし、四半世紀以上を経て、祖国統一の思いに燃えていた当時の北ベトナムと経済効率第一主義が蔓延してきた現在の統一ベトナムとは大きくかけ離れてしまったことを淋しく思う。あの頃、世界中で多くの人たちが連帯を表明したホーおじさんのベトナムは一体どこへ消えてしまったのだろうか。
「ホー・チ・ミンもベトナム戦争も知らない子供たち」世代が国民の多数派となり国の指導者層になるにつれてベトナムは更に劇的に変容を遂げて行くのだろう。
戦争犯罪博物館の庭に展示してある戦車
戦争犯罪博物館にはベトナム戦争時の米軍やベトナム軍の兵器とともに、処刑・拷間・大虐殺など戦争のあらゆる場面の膨大な数の写真が撮影したカメラマンの紹介を添えて展示されている。沢田教一や一ノ瀬泰造など、戦場で行方を絶った日本人カメラマンたちの遺作も多い。さらに、枯葉剤による奇形児のホルマリン漬け死体にも目をそらしてはいけない。あらためて戦争の本質や無意味さを考えさせてくれる博物館。
全て軍事力で片付けようとする国々の指導者たちに見せてやりたいものだ。
サイゴン教会
ドンコイ通りでは山ほど買い物もしました。ベトナムコーヒーも頂きました。日本じゃベトナムが大ブームなので若い日本人の姿もたくさん見ました。
P.S
帰りのベトナム航空でエコノミーに座って飛行機が動き出すのを待っていると何故か客室乗務員がやって来て、突然「ビジネスクラスに移ってください」と言われた。マイルがたまっている訳でもないのに追加料金なしでビジネスに座れるなんて何かの間違いかと思った。でも、やっぱりシートも機内食もワンランク上のビジネスクラスは快適! この味を覚えると、もうエコノミーには座れなくなるかも...
ダブルブッキングのせいなのかどうか、今でも、私たち二人を指名して席を変えてくれた理由はわからない。ま、たまにはラッキーなこともなけりゃネ。
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