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第3日目 part1
 
 
 
パルミラ博物館
 
パルミラ博物館
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 まず、パルミラについての予備知識を得るためパルミラ博物館へ。博物館入口ではアラート神殿で発掘されたライオン像がニラミをきかせている。
 
 パルミラはシリア砂漠の真中に位置する世界でも最大級の隊商都市遺跡。旧石器時代にはすでに人類が生活し、メソポタミア文明期にも交通の要所として繁栄したが、西暦106年に南部のぺトラがローマ帝国に併合された後、それに代わる貿易路の中心国家として3世紀終わり頃まで最も繁栄した時代を迎えた。
 西暦267年に有名な女王ゼノビアが即位し、ローマ帝国に反旗を翻して小アジアからエジプト一帯の交易路独占を図る。美貌と才知を兼ね備えていたというゼノビアはエジプトのクレオパトラの末裔だと自称していた。しかし、西暦272年にパルミラはローマ軍との戦いに敗れて町は破壊され、捕らえられたゼノビアは金の鎖につながれてローマへ移送された。そしてパルミラの繁栄は終わる。
 
 
 
 
パルミラ ベル神殿
 
ベル神殿入口
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 ベル神殿は東西210メートル南北205メートルの規模を持ち、現存する中ではパルミラ遺跡最大の遺構。西暦1〜2世紀頃にセム最高神のベル(バール)神に捧げるために建造された。神像安置所と中庭は壁で囲まれ、その壁や円柱が今も残っている。
 
 
 
 
パルミラ ベル神殿を囲む柱廊 その2
 
ベル神殿柱廊
ベル神殿柱廊
神殿と中庭の周囲にはコリント式の円柱が390本もあった。
 
 

 
 
 
パルミラ ベル神殿の神像安置所
 
ベル神殿の北側神像安置所(1)
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 中央の神殿の中には南北に2つの祭壇があり、それぞれ神像が置かれていた。
 上と左下の写真は北側の祭壇で、ここにはベル神像が安置され両脇には太陽神と月の神を従えていた。また、右下の写真の南側祭壇の天井にはバラの彫刻とアラベスクのような幾何学文様が彫られている。
 どちらもススで真っ黒なので、どうやら火や香料を下でガンガン焚いたらしい。あるいは、最近までこの神殿をベドウィンの人たちが勝手に住居として使っていたというので、台所代わりにここで煮炊きしていたのかも知れない。
ベル神殿の北側神像安置所(2)
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ベル神殿の南側神像安置所
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パルミラ ベル神殿の天井飾り
 
ベル神殿の天井飾り
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 本来はベル神殿を囲む回廊の天井部分に施されていた装飾。
 崩壊した破片の大きな物が祭壇付近に置いてある。彫られているモチーフは植物・果実・人物などだが、パルミラ芸術の特徴は東のペルシアと西のローマの文化を融合させたところにあるという。
 金沢大学の田辺教授によれば、ペルシャのパルティア文化の影響は彫刻や絵画の正面観の人物描写・硬直ぎみの姿勢・真実主義などの構図や技法に現れていて、彫刻やレリーフの男性人物像が身にまとっている衣装はイラン系民族の服装だという。一方、ギリシャ・ローマ文化の影響は多くの地下墳墓に刻まれている「死者の饗宴図」に凝縮され、寝台に横臥するポーズ・葡萄唐草文様・馬の鞍の模様などに顕著な影響が見られるという。
 両大国間に挟まれた小さな緩衝国家だったパルミラが双方の影響を受けるのは仕方ないことだろう。
 
 
 
 
 
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