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第3日目 part3
 
 
 
クラック・デ・シュバリエ
 
クラック・デ・シュバリエ 1
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 パルミラの遺跡を後にして、今度はバスで西へ約250キロ走り、十字軍の要塞だったクラック・デ・シュバリエ城跡へ。
 ここは11世紀初頭にホムスの王が築いた砦だったが、1099年に聖地エルサレムを奪回するために遠征して来た十字軍ホスピタル騎士団が占領し城砦としての大幅な改築を行った。キリスト対イスラムの宗教対立は幾度となく戦争へと発展し、十字軍遠征による遺恨は今もなおアラブ地域に根深く残る。 
 
 パルミラからバスをとばしてやっと城のふもとまでやって来た時、すぐ目の前で車同士の衝突事故が起こり道路はしばらく通行止め。ギリギリの日程で遺跡を回る僕たちは無駄に時間を浪費する余裕など無かったので通行止め個所を徒歩で越え、そのあたりの民家の自家用車を手配して山の頂上の城まで乗せてもらった。何とかクラック・デ・シュバリエの門をくぐることが出来たのは若いシリア人ガイドさんの機転のおかげ。
 事故のために予定が大幅に狂い、ここもボスラ遺跡と同じで着いたらすぐに日没で真っ暗。そして当然ながら夜間照明設備など全く無い。
 
 
 
クラック・デ・シュバリエ 2
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 元々ここは城を守るために跳ね橋でしか渡れない深い堀だった。イスラム教徒たちは大量の小石で堀を埋めた。
クラック・デ・シュバリエ 3
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 照明設備は無く、雨が激しく降り始めた真っ暗闇の中をカメラのフラッシュだけで撮った写真。意外に写っていたので驚き。
 
 
 
 
クラック・デ・シュバリエ 厩舎跡と食堂跡の天井
 
厩舎跡
厩舎跡の天井
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厩舎跡
食堂跡の天井
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 十字軍の騎士たちが馬をつないでおいた部屋。ビザンチン様式の石組み。この他にも跳ね橋の跡や食堂や教会の跡など城の内部はビザンチン様式の装飾が施され、表向きだけは禁欲的な十字軍砦の生活ぶりが偲ばれる遺跡だ。
 だけど、真っ暗な中、ほとんど懐中電灯やカメラのフラッシュに頼るだけ。まったく、裸電球でもいいから照明装置くらい取り付けて欲しいものだ。
 
 
 
柱の陰に浮かぶのは城を彷徨う亡霊…
ではなくて、Tでした。(似たよなものか)
 
 
 
 今夜の泊りはここから80キロも離れているハマという町で、大きな水車で有名らしい。夜の観光や夜のドライブが多いツアーだ。だけど、ギュウギュウ詰めの日程で回るツアーは実は嫌いじゃない。嫌いどころか、強行日程は大好きです。
 
 
 
 
 
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