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第5日目 part4
 
 
 
アンジャル遺跡
 
宮殿跡
宮殿跡
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テトラピロンとアーケード
テトラピロンとアーケード跡
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公衆浴場跡
公衆浴場跡
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カメレオン
遺跡に住む野生のカメレオン
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 バールベックから南西に40キロほどの場所にある綺麗で小ぢんまりとしたアンジャル遺跡はウマイヤ朝のカリフ、ワリード1世が8世紀初めに建設させた都市。レバノン国内に残るウマイヤ朝時代の数少ない遺跡として非常に重要なものらしい。これまでローマ時代の遺跡を散々見て来たせいもあって、それらとは趣の異なるイスラム文化のアンジャルはとても新鮮に感じられる。
 ところで、ウマイヤ朝って何だった? 昔、確か世界史で…
 ウマイヤ朝はシリアのダマスカスを都として7世紀半ばから8世紀半ばまで続いた初期イスラム王朝。この時代の美術はウマイヤ朝美術として発展し、壮大な建築や華麗なモザイク装飾に特色がある。代表的な建築物はダマスカスのウマイヤド・モスクやエルサレムの岩のドーム、そしてこのアンジャルの宮殿など。

 
 
カシオン山より望むシリアの首都ダマスカス
 
ダマスカス

 アンジャル遺跡の後、国境を越えてシリアへ再入国。首都ダマスカスは人口150万人のシリア最大の都市。
 ダマスカス国立博物館でマリ遺跡出土品の古代ガラス・土器・楔形文字の粘土板など、古代オリエント関係の展示品を見ることが出来た。シリアといえばユーフラテス川が流れているんだからメソポタミア文明の遺跡が多いんだろうと勝手に思い込んで来たのに、行くところ全てローマ時代の遺跡ばかりで特に円形劇場は見本市状態。ここでやっと思い込み通りの物に出会えた。
 
 この後、スーク・ハミディーエの中を歩く。スークとは“市場”のこと。薄暗いアーケードの中、両側に立ち並ぶ店の店頭に山積みにされた品物の種類の多さとそこから漂う様々な香辛料なんかの香りと飛び交うアラビア語の大声やラジカセから流れて来るアラブ音楽などの喧騒の物凄さにドキドキしながら、絶対真っ直ぐに歩けない人ごみの中をじろじろ見られながら何度も人にぶつかって進み、途中、イスラム商人の古い大邸宅と営業中の本物のトルコ風呂の中にズカズカ入り込んでチョコッと見せてもらってすぐに退散し、やっとのことでスークを抜け出ると、目の前にはウマイヤドモスクと青い空があった。
 
 
 
 
1997年最後の夕暮れ
カシオン山の夕暮れ
 
 1997年12月31日の夕暮れ。丘の上に軍事基地があるために中腹までしか登れないカシオン山でダマスカス市街を眺めているとすぐに日が暮れた。海外で迎える初めての大晦日と新年。それも、中東のシリアで。
 この日の夜は少し服装を整えてシャムパレス・ダマスカスホテルの展望回転レストランでフルコース。確かシリア政府観光局か何かの担当者も来て挨拶をしていた。官民挙げて日本からの観光客をもっと呼び込もうという熱意が強く感じられる。しかし1997年時点でシリア・ヨルダン・レバノン、いずれにも日本との直行便が無いため、まずは定期航空路の開設が最優先課題だろう。そして、観光地の施設整備の遅れも早急に改善しなければ話にならない。
 日本に帰って知り合いたちに「シリアは良かった?」なんて聞かれても、単純に良かったとは言いづらいものがある。
 
 
 
 
 
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