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第4日目 part2

 
 
 
マチュピチュの入口を入って
マチュピチュの入り口付近
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 マチュピチュ遺跡へは山麓の駅から約600メートル上の遺跡まで、「いろは坂」みたいな坂道をバスで約20分間登る。ゲートでマチュピチュ入場証明書みたいなものを受け取り、崖に沿った細い道を進むとマチュピチュの都市遺構とワイナピチュの山容が次第に見えてくる。

 
 ついにやって来た!という感じ。あのマチュピチュに自分の足で立っている、と思うと自然に頬がゆるんでくる。


 マチュピチュは1911年にアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムが再発見した。誰がいつ頃何のために築いたのか現在も不明なまま。凄まじい破壊と略奪を繰り返したスペイン人たちから400年近くも逃れて誰の目にも触れず眠っていたインカの空中都市。
 遺跡の面積は5キロ平米、標高は2,450メートル、 最盛期には1万人〜2万人の人口があったのではないか、と言われている。
   
 
 
 
 
 
ワイナピチュとマチュピチュの廃墟
 
マチュピチュの定番ポイント
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 背後に若き峰ワイナピチュを従えたマチュピチュの町。マチュピチュの紹介映像は必ずこの場所で撮影されているお約束の定番ポイント。

 ワイナピチュの山頂へももちろん行けるが、見た目よりもかなりきつい登山だというので思い止まった。
 その山頂には大きな一枚岩で出来た王の椅子があるというので是非とも行ってみたかったけど。
   
 
 
 
 
 
マチュピチュ遺跡 段々畑とウルバンバ渓谷の絶壁
 
マチュピチュ 段々畑とウルバンバ渓谷の絶壁
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マチュピチュ 段々畑とウルバンバ渓谷の絶壁

 左にはウルバンバ川の深い谷があり、その絶壁に貼り付くようにマチュピチュの段々畑がギリギリのところまで下へ降りている。
 1万人以上もの人口があったとすれば、食料の生産や確保も高度な土地利用や生産効率の飛躍的な向上を伴わないと到底追いつかないだろう。
 勿論、“下界”の畑 から大半を調達していたにしても。

 なお、当時は今と比べ物にならないくらい木や草が鬱蒼と生い茂っていたのに、ハイラム・ビンガムはこの左手の断崖絶壁をよじ登ってマチュピチュにたどり着いた。
 
 
 
 
 
 
マチュピチュ遺跡 崩れかけた遺構と粗雑な石組み
 
マチュピチュ 崩れかけた遺構
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マチュピチュ 粗雑な石組み
 
 1990年当時のマチュピチュは今にも石組みが崩壊しそうな場所もあった。
 マチュピチュの町は建築様式や石の積み方などから見て、一度に全体が建設されたのではなく長期間にわたって少しづつ拡張されてきたことが判明している。確かに、これでもインカ? なんて思わず首を傾げたくなるような粗雑な石組みが何箇所もある。それは一般庶民の住宅だから粗雑というよりも、古い時代の積み方だからなのかも知れない。
 
 
 
 
 
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