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第3日目 Part1

 

Naghsh-e Rostam - 1

 
ナグシェ・ロスタム遺跡  遠景
ナグシェ・ロスタム遺跡  遠景
 シラーズの町から北東に車で約1時間、地質学者の興味をひきそうな彎曲した地層が道の両側に延々と露出する中、やがて断崖に彫られた4基の巨大な墳墓群が視界に飛び込んでくる。それがナグシェ・ロスタムの遺跡。

 4基の墓はそれぞれクセルクセス1世、ダレイオス1世、アルタクセルクセス1世、ダレイオス2世のものと推定されている。
 

ナグシェ・ロスタム遺跡(1)
 そばへ近づくと遠くで見るよりも意外に大きな墳墓群。
 画像左下に立っている人物がアリのように見える。高さ64メートルの断崖絶壁の中腹を掘削して王たちの巨大墳墓が造営された。
 岩を削って造られた巨大な墓という点ではヨルダンのペトラ遺跡の王宮墳墓群などと共通点がある。しかし、ナグシェ・ロスタムは造形が単純明解な十字形で過剰な装飾も無いことに無骨で荒削りな力強さが感じられ、それがかえって古代ペルシア統一を成し遂げた王権の凄まじく強烈な権力を印象づける。
 
ナグシェ・ロスタム遺跡  ダレイオス1世の墓(推定)
 
ダレイオス1世の墓
残念ながら一部修復中
 

 「大王、諸王の王、ペルシアの王、諸邦の王」と碑文に刻まれたダレイオス1世(紀元前558年頃 - 紀元前486年、在位紀元前522年 - 紀元前486年)は古代ペルシア・アケメネス朝第3代の王。紀元前6世紀後半に君臨し、帝国の領土が最大版図となったのも彼の治世下でのこと。
 彼は王都スーサの復興や新都ペルセポリスの建設を成し遂げ、官僚組織や収税制度を確立しアラム語を帝国の公用語とするなど統治機構を改革・整備して中央集権支配体制を完成させたという。王の目・王の耳という公然・非公然の情報収集組織を作り上げたのも彼だった。

 ただ、ダレイオス1世はアケメネス家の血族出身とする従来の説に近年では疑問が投げ掛けられている。アケメネス朝第2代のカンピュセス2世亡き後に王位を奪ったガウマータを倒してアケメネス朝の正統な血脈を守ったことになっているが、実はダレイオス1世自身もキュロス大王のアケメネス家とは何の繋がりも無い全く別の家系出身者である疑いが濃厚になっているらしい。つまり、王朝を乗っ取った簒奪者、泥棒ということか。
 ただし、ペルシアに限らずアラブ人の家系・系譜意識において血縁関係の濃淡は必ずしも重要な問題ではなく、同族意識を共有する集団の単位が「部族」なのだという。ま、百歩譲ってダレイオス1世とキュロス大王が同一部族だとしても、直系とまで主張するのはいかがなものか。
 「万世一系」なんて言っても実際には血筋がズタズタに途切れているどこかの国の天皇一族と同じ穴のムジナですネ。

 
ナグシェ・ロスタム遺跡  クセルクセス1世の墓(推定)
クセルクセス1世の墓

 クセルクセス1世(?〜紀元前465年、在位紀元前485年〜紀元前465年)のものと推定されるこの墓だけは、他の3基が同じ断崖面で横一線に並んでいるのに対し、それらと90度近い角度で向き合う断崖に造られている。
 クセルクセス1世はダレイオス1世の息子で父の後を継いでアケメネス朝第4代の王位に就いた。彼もまた父ダレイオス1世が果たせなかったギリシャ本土の征服を試みたが失敗し、やがて暗殺されたという。

 
ナグシェ・ロスタム遺跡  アルタクセルクセス1世の墓(推定)
アルタクセルクセス1世の墓

 クセルクセス1世が暗殺された宮廷内の権謀術数の渦中で王位に就いたのがアルタクセルクセス1世(?〜紀元前424年、在位紀元前465年〜424年)。
 紀元前 449年にはアテナイとの戦争状態を終らせ、サラミスの海戦で自国のペルシア艦隊を壊滅させた敵艦隊の将軍テミストクレスを手厚く保護し、紀元前 445年にはキュロス大王以来のユダヤ人解放を命令。また、右手が左手より長かったためにマクロケイル(長い手)という渾名があった。

 
ナグシェ・ロスタム遺跡  ダレイオス2世の墓(推定)
サーディー廟 2

 アルタクセルクセス1世の死後、後を継いだクセルクセス2世は即位から僅か45日後に暗殺され、その混乱状態を収束したダレイオス2世(?〜紀元前404年、在位紀元前424年-紀元前404年)が王位に就いた。アケメネス朝ペルシアは兄弟や親族同士で王位をめぐる暗殺が多発し、その宮廷内の主導権争いの激化が求心力を低下させ、やがて強大な帝国も衰退していったという。
 このダレイオス2世の治世末期にはそれまで征服下に置いていたエジプトがペルシアに反旗を翻して再び独立を果たしている。