「大王、諸王の王、ペルシアの王、諸邦の王」と碑文に刻まれたダレイオス1世(紀元前558年頃 - 紀元前486年、在位紀元前522年 - 紀元前486年)は古代ペルシア・アケメネス朝第3代の王。紀元前6世紀後半に君臨し、帝国の領土が最大版図となったのも彼の治世下でのこと。
彼は王都スーサの復興や新都ペルセポリスの建設を成し遂げ、官僚組織や収税制度を確立しアラム語を帝国の公用語とするなど統治機構を改革・整備して中央集権支配体制を完成させたという。王の目・王の耳という公然・非公然の情報収集組織を作り上げたのも彼だった。
ただ、ダレイオス1世はアケメネス家の血族出身とする従来の説に近年では疑問が投げ掛けられている。アケメネス朝第2代のカンピュセス2世亡き後に王位を奪ったガウマータを倒してアケメネス朝の正統な血脈を守ったことになっているが、実はダレイオス1世自身もキュロス大王のアケメネス家とは何の繋がりも無い全く別の家系出身者である疑いが濃厚になっているらしい。つまり、王朝を乗っ取った簒奪者、泥棒ということか。
ただし、ペルシアに限らずアラブ人の家系・系譜意識において血縁関係の濃淡は必ずしも重要な問題ではなく、同族意識を共有する集団の単位が「部族」なのだという。ま、百歩譲ってダレイオス1世とキュロス大王が同一部族だとしても、直系とまで主張するのはいかがなものか。
「万世一系」なんて言っても実際には血筋がズタズタに途切れているどこかの国の天皇一族と同じ穴のムジナですネ。
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