ペルセポリスのページで、中東を代表する大遺跡としてシリアのパルミラ遺跡、ヨルダンのペトラ遺跡、イランのペルセポリス遺跡が「中東の3P」と呼ばれると書いた。
「中東の3P」を私たちは数年の間隔を置いてパルミラ、ペトラ、ペルセポリスの順に訪ねたことになるが、今はその訪問順序を少し後悔している。この中で年代的に最も古いペルセポリスを最初に訪れるべきだった、と。
正直なところ、「中東の3P」ではペルセポリス遺跡が最も印象が薄い。残念ながらペルセポリスの感想は「えっ、たったこれだけ?」という失望にも似た思いが私たち二人に共通して存在している。
繁栄を誇った年代が全く違うことや、遺跡の規模が都市全体に及ぶのか、それとも単一の宮殿複合のみに限られるのかという違いは承知していても、どうしても先に訪ねたペトラやパルミラと頭の中で比較してしまい、インパクトの弱さが実感として残ってしまう。そう考えると2003年末の大地震でアルゲ・バムの古代都市遺跡が受けた壊滅的な被害が非常に悔やまれてならない。
ペルセポリス遺跡に対する「たったこれだけのものか」という失望感は私たちだけかも知れないし、それぞれの地方の文化や遺跡に対する思い入れの度合いも各人各様だとは思う。私たちの場合はペルセポリスより遥かに小さくて取るに足りない規模のものでも中米のマヤ遺跡には大きな興奮を覚えることが多い。
しかし今回、広大なイランのほんの僅かな一部分だけではあるが駆け足で周ってみて、文化圏が重なり合う地域の著名な遺跡を巡る旅は出来る限り年代の古いものから順に訪ねてみるのがベターなのではないか、そう思った。
エラそーなことを言える立場ではありませんが。
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