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第3日目 Part8

 

Pasargadae

 
パサルガダエ遺跡  キュロス2世(キュロス大王)の墓
パサルガダエ遺跡 キュロス大王の墓
 
アケメネス朝ペルシアの創始者キュロス2世(キュロス大王)の墓。
高さ11メートル、6層の段塔の上に切妻屋根の墓室が載っている。
修復中のため、工事用の足場が非常に目障り。
 
パサルガダエ遺跡 キュロス大王の墓2
 
 紀元前612年、強大なアッシリア帝国を破ってイラン高原の覇者となったのはイラン系遊牧民族が建てたメディア王国。
 そのメディア王国で同じイラン系部族でありながら隷属的な状態に置かれていたペルシア人はファルース地方の小王国アンシャンのキュロス2世(紀元前600年頃〜紀元前529年)のもとで反旗を翻す。
 そして、紀元前550年、ついにメディア王国を倒しアケメネス朝ペルシアが誕生。
 キュロス2世は征服した他民族に対しても寛容で慈悲深く高潔な支配者として知られ、キュロス大王と尊称された。彼の在位は紀元前550年〜紀元前529年。
    何か、まるで百科事典みたいな書き方… (汗)
パサルガダエ遺跡 キュロス大王の墓3
 昔はソロモン王の母の墓と思われていたが300年前に墓室の中に2基の石棺が発見され、キュロス2世とその妻の墓であることが判明。
 
パサルガダエ遺跡   宮殿跡(1)
 
 キュロス2世がパサルガダエをアケメネス朝の首都と定め、建設を始めたのはは紀元前546年頃。王位を得たダレイオス1世も引き継いで造営を行った。
 今では見渡す限り広大な荒地が広がり、ところどころにポツンと宮殿跡や大王の墓があるだけ。しかし、当時は張り巡らせた水路によって緑あふれる美しい宮殿だったようだ。
パサルガダエ遺跡 宮殿跡1
パサルガダエ遺跡 宮殿跡2
 
 キュロスがプライベートに使用していた宮殿の広間に立ち並んでいた石柱。
 美術史家たちから、この台座部は「古代ペルシアで製作された最も美しい作品」と高い評価を与えられているようだ。
 黒色の台座石の上に白色の台座石を重ね合わせたコントラストの絶妙さと、その上に立つ円柱下部の幾重にも重なる同心円状の浅い溝は非常に高度な加工技術が必要とされる。キュロスがイオニアから連れてきた石工の卓越した技量を示す好例と見られている。
パサルガダエ遺跡 宮殿跡5
 
パサルガダエ遺跡   宮殿跡(2)
 
 こちらは公的な行事や用向きに使用したと思われる宮殿。謁見殿と言ってもいいのでしょうかね。
パサルガダエ遺跡 宮殿跡3 パサルガダエ遺跡 宮殿跡4
パサルガダエ遺跡 宮殿跡9 パサルガダエ遺跡 宮殿跡10
 何が何だか訳が判らないけど、楔形文字が彫られている。
 
パサルガダエ遺跡 宮殿跡6
パサルガダエ遺跡 宮殿跡7 パサルガダエ遺跡 宮殿跡8
 牡牛(馬?)のヒヅメと半身半魚人(?)の足。
 これも何の意味が込められているのか、せめて全体像が見えないことにはワタクシのような素人が勝手な想像で無責任なコメントを書けません。バビロニアの影響を受けた彫刻と言われるけど、一体どこがバビロニアの何と共通要素があるのか、ワカリマセン。