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第3日目 Part3
Persepolis - 1
ペルセポリス遺跡 遠景
イランへ来たのはこのペルセポリス遺跡をひと目見るのが唯一最大の目的。イスファハンもシラーズも、すべてはペルセポリスの遺跡を訪ねるついでに足を伸ばしただけ、と言っても過言じゃない。
ダレイオス1世が紀元前512年建設に着手したペルセポリスは、当時は「パールサ」と呼ばれていた。「ペルセポリス」という名はこのパールサの都をアレクサンダー大王が破壊した後、ギリシャ人が自分たち好みの名前で呼んだことに始まる。そもそもペルシア人が自分たちの都を「〜ポリス」などと呼ぶはずも無い。
ペルセポリスはヨルダンのペトラ遺跡・シリアのパルミラ遺跡と並んで「中東の3P」と呼ばれる大遺跡だが、ギリシャ名のペルセポリスではなく、本来のパールサ遺跡という名で呼ぶべきだろう。
なお、その後イスラム教支配が始まると「タハテ・ジャムシード」と呼ばれたが、これは定着していない。
アルタクセルクセス2世王墓から見下ろしたペルセポリス全景
ペルセポリス遺跡 入口の大階段
宮殿全体を乗せる大基壇の北西にある大階段。
国の内外からペルシア王への謁見を求めてやって来る来訪者が馬やラクダに乗ったままでも上れるよう、かなり緩い傾斜と低い段差で設計されている。
この緩やかな傾斜の幅広い階段をゆったりした足取りで上りきると、有翼人頭像で知られるクセルクセス門(万国の門)が目の前に現れる。感動の一瞬。
ペルセポリス遺跡 クセルクセス門(万国の門)
ダレイオス1世亡き後、建設を引き継いだクセルクセス1世が建てたクセルクセス門。別名:万国の門。
外側に2体の巨大牡牛像、内側にも2体の巨大人面有翼牡牛像、合わせて4体の巨像が威厳を持って守る列柱門内側の壁面には
「この門は余、クセルクセス1世が建てた」と、楔形文字の碑文が刻み込まれている。
門の外側、南西方向にある2体の牡牛像は頭部が激しく破壊されている。内側、北東方向の人面有翼像も顔面を削ろうとした痕跡があるが、外側のものより大まかな輪郭は残っている。
人面有翼牡牛像は既に紀元前9世紀頃のアッシリア帝国で盛んに造られていた。クセルクセス門のこれはアッシリアやバビロニアの影響をモロに受けた(パクッた)もの。
クセルクセス門は想像していたよりも小ぢんまりとしていた。有翼人頭像はもっと巨大でド迫力を感じさせるかと思っていたのに、少しだけ期待ハズレ。
ペルセポリスは建設に着手したダレイオス1世生存中にはアパダーナ(謁見の間)、ダレイオス1世宮殿、中央宮殿、初期の宝庫等が建てられたが、これは現在のペルセポリス宮殿全体の半分ほどの規模に過ぎない。
ダレイオス1世が亡くなった後はクセルクセス1世に建築活動が引き継がれ、その後のアルタクセルクセス1世の治世前半になって、ようやく現在の姿に近い規模にまで拡張・整備された。さらにアルタクセルクセス1世以後も歴代の王たちが小規模な増築や改修工事を行った記録も残っている。
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