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第3日目 Part6

 

Persepolis - 4

 
ペルセポリス遺跡  トリピュロン(中央宮殿)東の門
ペルセポリス遺跡 トリピュロン(中央宮殿)アフラ・マズダ
ペルセポリス遺跡 トリピュロン(中央宮殿)ダレイオス1世
 
 アパダーナ東階段の南側にトリピュロン(中央宮殿)と呼ばれる遺構がある。会議を行った場所とも言われるが、例によって推測でしかない。絶対的な支配者たる王の下に合議機関があるはずもないし。
 ここは取り立てて記憶に残る場所でもない。ただ唯一、百柱の間に近い東側出入口門にはダレイオス1世と息子で皇太子時代のクセルクセス1世の姿、そして彼らの頭上に保存状態の良いアフラ・マズダが残されている。

 
 なお、左上の画像はダレイオス1世だけ。二人のツーショット場面はこの反対側の壁面に彫られている。 撮影、してません。

 
ペルセポリス遺跡  宝庫(と推定される場所)
ペルセポリス遺跡 宝庫(と推定される場所)の礎石
 やけに整然と礎石が並ぶこの場所は宝庫と推定される区画。宝庫はダレイオス1世が築いた最初のペルセポリスで造営されたと見られる。
 後年、アレクサンダー大王がここを焼き討ちの際、火をつける前に宝庫に貯蔵されていた宝物・財宝を運び出したが、それは「1万頭のロバと5000頭のラクダが必要だった(『歩き方』)」と言われる。これはかなり大げさな表現だとしても、きっと莫大な富を貯えていたのは想像に難くない。
 
ペルセポリス遺跡  アルタクセルクセス2世墓
ペルセポリス遺跡 アルタクセルクセス2世墓1

 玉座の王レリーフがある百柱の間南側出入口門の向う、丘の中腹にアルタクセルクセス2世(在位:紀元前404年〜紀元前358年)の墓が見える。
 この王はダレイオス2世の子であり、弟と王位を争って勝利し即位。スパルタとの間に平和条約「大王の和約」を結んだことでも有名。しかし、領土内各地には反乱が多発し、宮廷内ではアケメネス王朝お得意の陰謀や暗殺が横行して王の威信は地に落ち、進行する国力の低下を食い止められなかったという。

ペルセポリス遺跡 アルタクセルクセス2世墓2
 
ペルセポリス遺跡 アルタクセルクセス2世墓3
 
 この王墓へ行くには見た目よりも急な斜面を登らなければならない。砂利がゴロゴロしているので、ちょっと気を抜くとズルズル足を滑らせて落ちそうになる。
 下で見上げると間近に見えるのに、たどり着くまで意外に時間が掛かった。
 なお、墓の形はナグシェ・ロスタムにある諸王の墓のような十字形でなく、下部が省略された凸字形。
 
ペルセポリス遺跡 アルタクセルクセス2世墓4
ペルセポリス遺跡 アルタクセルクセス2世墓5
ペルセポリス遺跡 アルタクセルクセス2世墓6
 
 
ペルセポリス遺跡 アルタクセルクセス2世墓7
鉄柵越しに垣間見た墓の内部
手前の白っぽいのが石棺のようにも思えるが、
見えた範囲内ではガランとして何もない。