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Copan
― コパン遺跡(1)―
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グアテマラから国境を越え、悪路の中 ホンジュラス共和国のコパン遺跡へ。
コパン川が流れる渓谷に広がるコパンはマヤ文明を代表する遺跡の一つ。
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コパン王朝最初の王は426年に即位したヤシュ・クック・モとされている。
西暦738年、18ウサギ王(ワシャクラフーン・ウバーフ・カウィール)がキリグアとの戦いに敗れて斬首されて以降、コパンは徐々に衰退の道をたどることになり、西暦800年代半ばにはエリート階級が都市を放棄して事実上滅亡した。しかし、周辺村落部では900年頃まで人々が定住を続け生産活動を行っていたことが判明している。
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コパン遺跡のアクロポリス 東広場と広場西側の壁を装る石像
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アクロポリス東広場の俯瞰(左)と広場の西側を飾る装飾(右)
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コパン遺跡 髑髏の石段と雨神チャック
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東広場の北側にそびえる神殿22の最上部にはチチェンイッツァなどのツォンパントリを思わせる髑髏の浮き彫りが施された石段がある。また、アクロポリスからステラNが立つ広場へ降りる石段にもおびただしい髑髏の浮き彫りが施されていた。
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神殿16の南東隅に施された雨神チャックの像。長い鼻は折れている。
コパンで雨神チャックの像はあまり見かけない。周辺の整備されていないマウンドの中にチャック神殿のようなものがまだ埋もれているのだろうか。
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コパン遺跡 ヤシュ・パサフの墓
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事実上のコパン最後の王と言ってもいいヤシュ・パサフ。彼の墓がこの神殿18。
まだ調査途中のため、内部へ降りる入口は金網で封鎖されていた。コパン歴代の王たちの墓所と比べれば小さくて粗末なもので、王朝の衰退を如実に物語っているという。
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コパン遺跡 アクロポリス南側の低地(墓地?)
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アクロポリスの南側は谷底のように一段と低地になっている。アクロポリスと谷底との間には金網を張り巡らせて遮断されているので、一般人が谷へ降りることは出来ない。ここには墓地やヤシュ・パサフの宮殿跡などがあるようだが…。
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