Tikal
― ティカル遺跡(2)―
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ティカル遺跡 4号神殿
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近道で正規の順路から離れて森の薮を抜けると、いきなり4号神殿の頂上が威圧的に姿を現した。
ティカルで発掘されている6つの大神殿群の中でこの4号神殿が最も巨大と言われ、神殿頂上の棟飾りまでは69.8メートル。建立されたのは741年。
この巨大神殿の中、どこか秘密の場所にティカル最盛期に君臨したイキン・チャン・カウィール王の墓室が隠されているものと推定されている。
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建立当初、この神殿は全体が赤く塗られていたのか、ところどころに赤い塗料が残っている。
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周囲の樹木が取り払われていないのと、何よりも巨大すぎるために、4号神殿の全体像をフィルムに収めるのは無理だった。
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4号神殿頂上から見渡す光景、絶景です。
1号・2号・3号の各神殿の頂上が小さく見える。
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頂上での眺めは「やっとティカルに来た!」ことを実感させてくれる絶景。見渡す限りの樹海の向こうに1号・2号・3号の各神殿が頭を出しているのが見える。
木製の階段が付けられていて誰でも比較的簡単に登れるため、狭い頂上に観光客が多いこと多いこと。しばらくボーっとしていたい気分なのに、後からどんどん人が登ってくるのでそんな余裕はない。物思いにふけるなら、ヤッパリこの上で星を見ながら一晩明かし、吼え猿の声に目覚める夜明け頃、なんていうのが静かでいいかも。
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4号神殿頂上の部屋?祭壇?
部屋と呼べるほど広くないか
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ティカル遺跡 こうもりの宮殿
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右側がベッド? or ベンチ?
天井は当然マヤアーチ
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遺跡中心部の西に「こうもりの宮殿」と呼ばれる遺構がある。
宗教を司る聖職者の住居だったという説もあるが、この建物がどんな機能を果たしていたのか正確には判っていない。
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こうもりの宮殿内部は細長い部屋の壁に沿って幾つかのベンチかベッドのような作りつけの台があり、どれも漆喰で綺麗に化粧塗りされている。しかし、住居として暮らすには中のスペースがとても狭過ぎるようにも思える。
おそらくそれが名前の由来になったのだろう、実際にこの中にはコウモリが棲んでいて、中へ入ろうとすると頭の上をかすめるように大群が飛び出ていったので少し驚いた。
マヤの住居に関して言えば、大規模な住居跡の調査が初めて行われた遺跡はこのティカルだった。
1960年前後にペンシルヴェニア大学考古学チームによってティカル遺跡中心部周辺からおびただしい一般の住居跡が発見され、「マヤの都市は神殿群のみが林立する宗教センターであって、周辺の人口密度は希薄で都市と呼ぶに値しない」というそれまでの定説を覆す端緒になった。
さらに、この結果、食料供給のための農業システムに関する従来の研究も見直さざるを得なくなった。60平方キロの中に5〜6万人という人口規模は焼畑農業で支えられる限界を大幅に超えるもので、何らかの集約的農業生産が行われていなければ説明がつかなくなったためだ。
先古典期まで遡れる都市防衛のための土塁と環壕の発見と言い、密集した一般住居跡の発見と言い、ティカルは旧来のマヤ文明観の変更を迫るエポックメーキングな発見が相次いだ遺跡だという。
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