Tikal
― ティカル遺跡(3)―
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ティカル遺跡 失われた世界 (ムンド・ペルディード)
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中央神殿
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東基壇
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「失われた世界」(ムンド・ペルディード)は、1号神殿や2号神殿がそびえる大広場周辺に祭祀機能の中心が移るまで、初期ティカルの中枢部だった場所と言われている。
ティカルがメキシコ中央高原の大都市テオティワカンと密接な関係があった証拠とされるのが、「失われた世界」の中央神殿や東基壇などの建造物。
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タルー(傾斜した壁面)とタブレーロ(垂直な壁)を駆使して造られた神殿は、昔訪問したテオティワカンの月の神殿やケツァルコアトルの神殿を即座に思い出すほど本当によく似ている。
また、西暦378年の日付があるステラ4に彫られたヤシュ・ヌーン・アイーン1世(巻き鼻王)の正面を向いた姿勢はまさにメキシコ的なものであるとされ、彼の墓と見られるノース・アクロポリスの石室からはテオティワカン様式の副葬品が多数発見された。そしてその息子シヤフ・チャン・カウィール2世(嵐の空王)が刻まれたステラ31にはテオティワカンの雨神トラロックや骸骨の装飾がハッキリと施されている。
特定の時期を境に時代を遡るほどティカルでもテオティワカンとの関連が顕著に見られるというのは、通商交易上の関係ばかりでなく、やはりテオティワカンがティカルを乗っ取ったことを示すのだろうか?
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失われた世界の
中央神殿頂上に登ると、
目の前に3号神殿の頂上が見える。
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北西の方向に目を向けると
隣の東基壇の頂上の向こうに
巨大な4号神殿の頭が見える。
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ティカル遺跡 7つの神殿の広場
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広場の名前の由来になった7つの神殿跡(まだ未修復のまま)
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7つの神殿の広場 南側
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7つの神殿の広場 西側
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これは西側の神殿
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球戯場跡
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ティカル遺跡の中では比較的きれいな場所。
木漏れ日も差し込んで、どこか南国のリゾート地的な雰囲気すら感じられる一画。 この場所の本来の機能と目的は...、わかりません。
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