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第9日目 part1

 
Ceibal
― セイバル遺跡(1)―



 パシオン川流域の高台に位置するセイバルは紀元前800年頃から定住がはじまり、マヤ古典期には重要なセンターの一つとして繁栄した。
 パシオン川は現在のグアテマラとメキシコの国境付近でウスマシンタ川と合流して北に向かいメキシコ湾へと注いでいる。水路が主要な移動手段だったマヤ地域で最も重要な交通動脈と目されるウスマシンタ川流域にはパレンケ、ヤシュチラン、ピエドラス・ネグラス、ドス・ピラスなど数多くのマヤ遺跡が点在している。水上交通網によってセイバルはこれらの都市や地域とも密接につながっていたことだろう。
 
 
 
パシオン川をさかのぼる
パシオン川
 
 朝8:30にバスでサンタエレナを出発。1時間余りかかってパシオン川畔の町サヤスチェに到着する。
 ここでバスから小さなボートに乗り換え、パシオン川を上流に1時間半さかのぼる。単調な河岸風景が続く中、やっとセイバルの船着場へ。




セイバル遺跡 入口
セイバの木に取り付けられたセイバル遺跡の看板

セイバル遺跡へ続く狭くて急なジャングルの道

 セイバルの遺跡はパシオン川を見おろす断崖の上に広がっている。そのため、船着場から遺跡までは鬱蒼とした密林の中に設けられた細くて急な山道を約40分間登らなければならない。途中、倒れた大木が道をふさいでいたり、足を滑らせそうな崩れた石段も何箇所かあって、かなりきつい登り坂が延々と続く。
 なお、この崩れかけた石段が続く山道もセイバルのマヤ人たちが作りあげた古代の通路跡で、これ自体れっきとした遺跡。

 ここを訪れた5月下旬は乾期から雨期への境目くらいの時期であり、そろそろ蚊が大量発生している心配があったが、幸いにも蚊の姿はほとんど見かけなかった。

 
 
 
 セイバル遺跡の発掘・調査で議論が分かれてきたのは、出土した土器の変遷から、この地方は9世紀頃にオレンジ色の特徴ある土器を持つメキシコ湾岸出身の謎の集団に侵略され支配されたのではないか、ということ。同じ特徴を持つ土器がウスマシンタ川流域にある他の古典期マヤの諸遺跡からも見つかっている。
 
 この謎の集団についてこれまで、“マヤ系言語を話すが古典期のマヤ文化圏からは取り残されていたマヤ系部族”、もしくは“メキシコ湾岸低地出身の非古典期マヤ人”ではないかという説が有力となっていた。この集団は“チョンタル・マヤ人”もしくは“プトゥン人”などと呼ばれている。解説書の中にはこの部族をトルテカ族と誤って混同しているものも見受けられるが、れっきとしたマヤ系の一集団だったようだ。この謎の集団こそが後古典期ユカタン半島のチチェンイッツァなどで発達した、いわゆるトルテカ=マヤ様式文化の重要な担い手だった、とする見方もある。
 
 しかし、近年の碑文研究によれば、この謎の集団は西のメキシコ湾岸辺りからやって来た氏素性の判らない集団などではなく、セイバルの東に位置する都市ウカナルと関係を持つ人物を王として頂く一派だったのではないか、という指摘がなされているようだ。マヤ文字解読の更なる進展によって、今後はこの説が有力となってゆくのかも知れない。
 今のところ、詳しくは何も判っていないというのが実情かも。

 
 ただ、プトゥンかウカナルか、いずれにせよ、この謎の集団による影響も長くは続かなかったようで、10世紀半ばにはマヤ古典期の崩壊に歩調を合わせるかのようにセイバルも活動を停止し放棄されてしまう。
 
 この遺跡は1890年に天然ゴムの木を伐採に来た労働者の情報によって知られるようになり、1912年発掘がスタート。本格的な発掘や調査は1965年以来ハーバード大学の考古学チームらによって行われている。
セイバル遺跡へ続く狭くて急なジャングルの道
 
 
 
 
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