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Iximche
―イシムチェ遺跡―
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ホンジュラスから再びグアテマラ共和国へ。
グアテマラシティから西へバスをとばして2時間半、アティトラン湖に近いテクパン市郊外の標高2,260メートルの山岳地帯にイシムチェの遺跡がある。
カクチケル族の中心都市だったイシムチェは三方を急峻な山に囲まれた城砦都市。
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16世紀のスペイン人来襲当時、グアテマラ高地ではメキシコ中央高原からマヤの地に侵入した集団が土着のカクチケル族やキチェ族などの中で支配階層となり、覇権を競い合っていた。
カクチケル族はその歴史書『カクチケル年代記』の中で、真偽はともかく「我々はメキシコのトゥーラからやって来た」と記している。また、一方のキチェ族の創世記神話はかの有名な『ポップ・ヴフ』だ。『ポップ・ヴフ』の中にも、トゥーラを出た彼らがチ・ピシャブ山の頂上で各部族の名前を決める場面が出てくる。
残虐さで名高いスペイン人アルバラードはこの地方を征服するにあたって両部族間の確執を利用したという。テクパンはグアテマラ征服を果たしたアルバラードが最初の活動拠点に定めた町であり、グアテマラ初の首都だったと言えるのかも知れない。
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イシムチェ遺跡 俯瞰1(中央神殿跡から遺跡入口付近を見る)
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イシムチェはメキシコからやって来たトルテカ系の文化を色濃く残しているために厳密にはマヤ遺跡とは言えない。
遺跡は基壇部分だけが整備されているものの、構造物の規模が何とか分かる程度の復元に終わっている。
なお、メキシコ中央高原付近からの移民は長期にわたって何度も繰り返されたようだ。
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訪れた時は雨が降っていたので細部まで目を凝らして見ることが出来なかったし、見ても基壇の上にどんな構造の建物があったのかという事まで素人の私たちに分かるはずもない。イシムチェの往時の様子については以下の記述が参考になる。
「...(イシムチェは)屈強な絶壁の上の平地にたてられ、その細部にいたるまでメキシコ的な特徴を示している。屋根は、マヤ古典期に発達した擬似アーチではなく、メキシコ風の梁とモルタルで平らに作られている。また、神殿自体も、メキシコ中央高原のテユナカやトラテロルコの神殿に見られるように、ふたつの階段と基壇の上の双子の神殿からなっている...」
増田義郎『太陽と月の神殿』(新潮社)
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イシムチェ遺跡 俯瞰2(中央神殿跡から遺跡の奥を見る)
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イシムチェ遺跡 聖なる場所
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貯水池跡を越え、広場から離れて細い道を林の中へ分け入って行くと、そこはかとなく神秘的でシンと静まり返った木立の間に香の匂いが立ち込め、石の上に幾本かの蝋燭の炎がゆれていた。
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たった今、誰かが何かを祈って帰ったばかりなのか、姿はもう見えない。
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ここは古来からの土着信仰の祈祷場所で、ある意味ではイシムチェ遺跡の中で最も重要な場所。現在でも周辺に住むインディヘナの人々が礼拝に訪れる。
グアテマラ内戦が激しかった頃、こうしたインディヘナの人々にとっての聖地は軍の格好の標的となり、破壊され血で穢されたという。
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