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Tikal
― ティカル遺跡(7)―
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ティカルの森は自然の宝庫?
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ティカルの森は動植物が豊富。セロ何とか自然保護区などより何倍も面白かった。聞いても名前を忘れたきれいな花々、うるさい猿の群れ、遠くてよく見えなかったインコ、せっせと働く葉切りアリの行列、やたら人に慣れている変な熊みたいなの、そしてケツァールの雌(?)。
現地ガイドさんは左の写真の鳥を「ケツァールのメスだ。」なんて言っていた。ケツァールはグアテマラはおろか、コスタリカの自然保護区でさえ滅多にお目に掛かれない珍しい鳥。ホントにあれがケツァールなら、ティカルの森ではよく見かけた。 くどいけど、本当にケツァールか?
近道ばかりして森の中をウロウロしていたおかげで、3号神殿には寄りそこなったものの、動物や植物だけは結構見たような気がする。
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森や草地に埋もれたマヤ遺跡を巡り、グアテマラン・レインボーのウィピルの美しさに魅せられた13日間。 表面だけをなぞれば、インディヘナの村を訪ねても最近まで続いた内戦による虐殺の影は見えず、今なお残る自警団や秘密警察による恐怖政治の構図にも気付かないまま、楽しい旅だった、で終わるだろう。 しかし、たとえ通りすがりの観光客であっても、遺跡やウィピル以外のものには一切目を閉じ耳を塞いでしまうわけにはいかなかった。
この旅行で出会った多くの人たちの中にも、現状に異議の声を上げたが故に親や夫や息子や娘が殺されたり行方不明となっている人は大勢いるはずだ。 粗末な布製の人形をか細い声で売っていた女の子も、賑やかにネギの泥を洗っていた母娘も、実は自分自身や家族が凄惨な体験を持つ人たちだったのかも知れない。 あるいは、何の気なしに踏みしめた小さなマヤの遺跡は実は何十人もの村人が虐殺された現場だったかも知れない。
形ばかりの軍政終結をみても、重たい現実はほとんど変わらない。 いや、500年前から白人種がとってきた富と権力の集中支配と先住民族への凄まじい抑圧・蔑視政策は見事なまでに現在まで一貫して継続され、何ら変わってなどいない。 現在もなおスペイン系の白人や混血ラディーノたちは征服者であり、インディヘナたちは被征服者のままであり続けている。 そして、その政策を自国の利益に結びつける大国とそれに寄生する国々の存在。 これは言うまでも無く、ひとりグアテマラや中南米域特有の構図ではない。
遠い国のこととして他人事のようにそれを非難し、インディヘナたちに口先だけの同情を寄せるのはとても容易いこと。 しかし、日本という国家やその構成員としての自分自身は本当に毛先ほどもこの状況に無関係なのだと言い切れるのか、たとえ直接的ではないとしても絶対に加担者ではないと言い切れるのか。 自分が納めた税金から支出されるODA、友人や知り合いかも知れない海外協力隊員たちの献身的な仕事ぶり、それらはグアテマラの内でどんな意味合いを付与され、どのような機能を担わされてしまっているのか。
内戦の停戦合意により「仕事にあぶれた」ゲリラたちが強盗や山賊に変身しているとするグアテマラ政府の低級なプロパガンダさえも、マスコミや旅行会社が無条件に信じてしまうこの極東の脳天気で破産寸前の島国。 そこに多分これからも住み続ける一人として、あるいは、米国資本によってもたらされるグアテマラ産品を時には手に取り口にする一人として、一体何をすればよいのか、何が出来るのか。 しばらく考えたいと思う。
グアテマラ あまり知られていない「最終解決」
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